俳優・塩野瑛久に会いに行くと額縁屋が儲かる話

 

 

私は比較的運が良い方だと思っている。
実際、命名で有名な先生に付けてもらったという私の本名の字画が持つ運レベルはかなり高く、両親と祖母3人の中で意見が割れ、出された候補の中から全く選ばれなかったものを「間をとって」付けたという割にはこれまでの人生でかなりの活躍を見せている。
 

 

 


 
10月某日、私のスマホにあるイベントのお知らせメールが届いた。
ある俳優のオフラインイベントだった。
開催日は10月28日土曜。
思慮浅く、愚かな人間である私は「28?知らんけど暇暇。とりあえず申し込むわ」と本当に軽い気持ちで必要事項を入力し、驚くほど軽い指先で申し込みを完了させてしまった。
 


 
ある俳優の名は塩野瑛久。

 
わかる人にはキョウリュウジャーのグリーンだとか、ハイローの小田島で伝わるかもしれない。
でも、正直まだこのタイトルを出せば多くの人がわかってくれるという作品はない。私は勝手にそう思っている。
知らないという人は名前を検索してみてほしい。
AIが描いたのではないかと疑うほどの顔整い男が画面いっぱいに出てくるはずだ。
 
 
そんな彼に直に会うことができ、さらには一緒に写真まで撮れるという謎イベントが開催されるという。
あまりにもあまりにすぎる内容だ。
こんなものに私は「暇っしょ!」の勢いだけで申し込んだ。
 
 


そして、当選した。
 
 


これが冒頭に書いた運だ。これまで幾度となく感謝してきたが、この日も相当感謝した。
結婚したら絶対に夫婦別姓にしたい。
あまり意識をせずに応募したのも良かったのかもしれない。
絶対に会いたい!当てたい!と思っていたら、きっと当選していなかったように思う。
どうせ私のことだから暇、という見切り発車で申し込み、別のイベントの当落が控えていたことであまり意識せずに過ごせたのも効いていただろう。
ELLEGARDEN活動休止前最後のツアーもそうだった。活動再開後のツアーもそうだった。情念を込めすぎないというのは時になにかを引き寄せる。
なんならこの日は全く暇ではなかった。ちょっとだけ人に迷惑をかけてしまったが、それにも関わらず、快く送り出してくれたことにとても感謝している。
 
彼のオフラインイベントは昨年末にも催されており、その時は落選をしてしまっていた。
そもそもの当選者が少ないということもあったかもしれないが、当日の様子を伝えてくれる個人の投稿はなかったはずだ。あったとしても、簡単に検索をして見つけられはしなかった。
 

私は思った。

 
私を当選させてくれれば、当日のことを詳細に記録して発信したのに、と。
 
 
時が来た。
 
 
ここまでを前日の夜に私は書いている。

 

 

これは2024年の大河ドラマ出演が決まった一人の俳優に会いに行った私が、人生で初めての買い物をするまでの、全く壮大ではない小さな記録である。
 
 
 
 
 
日中に塔の上のラプンツェル再上映を楽しんだ私は、久しぶりに降り立った渋谷の異様な雰囲気に圧倒された。
電車内こそ多少ゆとりがあったものの、ホームではハチ公改札は混雑しているため、外に出るまでにかなり時間がかかるというアナウンスが繰り返し流れていた。
地方民からしてみれば東京はいついかなる時でも人が多い。だがこんなアナウンスを聞くのは初めてのことだ。
ハチ公改札はきっと多くの地方民にとって最も馴染みのある改札だろう。少なくとも私はそうだった。
目的地へもハチ公改札から最もわかりやすい。
時間に余裕はあったが、万が一に備えて私は人の流れに乗り、中央改札から出ることにした。
再開発によって様変わりした渋谷はまるで見知らぬ土地と化しており、中央改札から直結した建物も全く知らない場所だった。今でもよくわかっていない。
Googleマップを片手に自分の位置を確認し、人のうねりに揉まれながらやっとの思いでハチ公の元へと辿り着く。
そこでようやくこの混雑の理由を知ることとなった。
渋谷は来たるハロウィンに向け完全に臨戦体制に入っていたのだ。
考えてみれば今年のハロウィンは平日。今日は31日に最も近い土曜だった。
ハチ公像は「ここはハロウィンパーティーの会場ではない」という旨が書かれた幕でかなり広範囲に囲われ、姿を見ることすらもできない。
通常であれば人が立ち入れるゾーンも柵で仕切られ、滞留だけでなく往来までもが困難になっていた。
そもそも駅も全面的に改修をしているのか、あらゆる通路が狭い上に見通しも悪い。
人の流れは当然滞り、満杯の屋内フェスでもなかなかお目にかかれない混雑が街のど真ん中で発生している。ジェットカウンターに流し込まれるパチンコ玉になった気分だった。
満員電車に乗ったままギチギチと移動をさせられているような感覚が、あろうことか電車を降りてからずっと続いている。シンプルに最悪だった。
これから推しに会えるという点を加味しても「もう二度とこの時期に渋谷へ来させるな」という感情が、人の圧と一緒に私を押し潰していた。
 
もはや視界に入れない方が難しい間隔で配置されたDJポリスをはじめとする多数の警察官に警察車両、その物々しい非日常感がハロウィンのスパイスとして一役買ってしまっているのではないかとさえ思えた。
真っ赤な回転灯も気の利いた照明に見えてくる。
DJポリスは英語で繰り返し、ここは集会所ではないよというようなことをアナウンスしていた。もう少し発音が上手な人材がいたのではないかと考えながら、私はポリスの乗る車両横目に横断歩道を渡りきった。
やっとの思いでスクランブル交差点まで押し出された後も人の数は一向に減らない。
小さく幅のない横断歩道での信号待ちでも、ちょっとした人だかりがすぐに発生してしまう。
数年前は頻繁に東京に訪れ、その人口の多さをよく知っていた私でも怖くなる程度にはとにかく人が多く、近年この渋谷ハロウィンが数々の創作物でテロの発生現場や標的にされているその意味が、嫌なリアリティを伴って実感できてしまった。
 
 

今回の会場はAmazon Music Studio Tokyoという全く聞き覚えのない場所だった。
しかし、きちんと調べてみればeggmanというよく知るライブハウスと実質同じ場所にあるようで、人の波に揉まれこそしたものの迷うことなく余裕を持って到着することができた。
目的地へ近づくにつれ少しずつ人通りも減ってはいたが、それでも仮装をした人と頻繁にすれ違うのだから、大都会はとんでもない。
 
eggmanのあの卵の看板が目に入ったのと同時に姿を現したAmazon Music Studio Tokyoは、なんとなくイメージしていた堅牢な雰囲気とは違い、ガラス張りで明るく都会的なオシャレさみたいなものを纏った建物だった。東京に、しかも渋谷にあるというだけでなんでもかんでもオシャレに見えてくる。
地元にもこんな感じの建物はあるが、やはり渋谷は違うなと思わされていた。

自動ドアを抜けると左手に受付があったが、今回のイベント参加者は右手に長机で仮設された受付でチケットを提示し、全く盛れていない免許証と、見るも無惨な仕上がりになっているFCのID写真で本人確認を済ませる。
この時に◯と×が両面にそれぞれ印刷されたボードを手渡された。イベント中のゲームで使用するということだが、これが後にとんでもないものを呼び込むことになる。
そんなことを全く知らない私は、席に着くなり受け付け後すぐに追加で受け取った登壇者への質問用紙に汚い字でせっせと質問を記入した。
 
こういった場でよく渡される簡易鉛筆(調べたところライトクリップペンシルという名前だった)はもう少しなんとかならないものだろうか。私はこいつと上手くやれた試しがない。
完全にこちらの事情だが、ネイルの予約のタイミングが合わず伸び切った自爪では上手く握ることもできない。加えて、これから美術品と見紛うばかりのド端正フェイスを持つ男に会うのだ。
まともに字など書けるわけもない。
字そのものが汚い上、文字列自体がツーシームのような軌道を描いていた。私の人間性如実に反映されている。
絶対に選ばれないでくれと願いながらスタッフに手渡し、私はやっと腰を落ち着けた。
 

この日、イベントは昼と夜の2回行われていた。私は2回目に参加している。
1回当たりの当選者は35名。応募総数はわからないが、今月までの繰越を含め残った今年分の運を全額引き出したことだけは間違いないだろう。
スマホで10年以上育てているマリモの水を換え、友人たちにLINEを送り、私は懸命に平静を装いながらその時を待つ。
椅子のどの位置に尻を置いても落ち着かない。逆にドキドキしていなかったのがまた怖かった。
 
 
ちなみに、会場内は通常この建物のエントランスとして使用しているのかなという印象。
ぱっと見渡せる程度、でも閉塞感はないワンフロアで、先ほども書いた左手側の受付の奥に並んで近未来の改札のようなゲート、通路を挟んでバーカウンターがあった。
特にもよおしてはいなかったが、後学のためにトイレも使用してみた。
女性用、多目的、男女兼用があり、私が使用した男女兼用は中でさらに3室に分かれていたのでイベント収容人数に対しては十分な数なように思う。
 イベントスペースとなっていたのは主に右手側で、奥に登壇者スペースがあり、そこに向かって背もたれはないが大きいソファが整列していた。
最後列のみ、高そうな洒落たオフィスチェアだった。
ご参考までに。
 
 
 
そして18時。開演時刻だ。
この日、MC担当として同じ劇団EXILEに所属する八木将康氏がまず姿を現した。
丁寧に一礼をして、椅子やマイクがセッティングされたスペースに向かう。
その八木氏に続いて、塩野瑛久は姿を現した。


恋愛ドラマのお約束演出かと思うほど、その動きが私にはスローモーションで見えていた。
 
塩野瑛久は光っていた。私が視界で捉えた瞬間から、それはもう大変にまばゆかった。


 

ご存じない方もいらっしゃるかもしれないが、イケメンはある一定のラインを超えると光る。
これまでの人生で何度か自発光するタイプのイケメンを拝んできたが、人にはそれぞれの光り方がある。皆一様に同じではないのだ。
塩野瑛久の輝きは貴金属や宝石のようなキラキラとしたタイプのものではなく、雲間から地上に向かって光が差し込んでいるあの天使の梯子に近かった。
神や仏の後光とも違う、柔らかく周囲をじんわりと染め上げるような光がいついかなる時も彼の内側から放たれ続けている。
一周回って「本物だ!」みたいな感想も出てこない。
燦爛と光を放つ姿に、マスクの下でぽかんと口を開け、最後列の私でもこれなのだ。最前列の人たちは大丈夫なのだろうかと本気で心配をしていた。

 


劇団のわちゃわちゃ部屋〜塩野瑛久の講塩会〜が、ついに幕を開ける。


MCを担当した八木氏の進行は実に滑らかで、盛り上げようと声を張ることもなく、穏やかに語りかけ、自分を過剰に三枚目に見せるようなこともせずとても心地が良かった。
全員が手探りであったこのイベントの雰囲気づくりに相当寄与していたと思う。
ファンと一緒になって「塩野くんかっこいいよね」と適度に寄り添ってくれていた距離感にも無駄がなかった。
簡単な挨拶をし、この会の趣旨をざっと説明すると早速ファン参加型のゲームを行うという。
事前に告知もされていたが、トークがメインだとばかり思っていた私は、このゲームの後はどうするんだろうかなどといらない心配をしていた。
 
 
まず行われたのは受付で全員に配布された○×ボードを使ってのクイズ大会だった。
みなさんはどれだけ塩野くんのことを知っているかな?全25問のクイズに答えて、優勝者には現在放送中の番組ポスターにサインを入れてプレゼント!というものだ。
オールスター感謝祭さながらに全員スタンドアップし、不正解者は順に着席をしていく。
序盤の問題はプロフィールやドラマを見ていればわかるものが多く、脱落者もさほど出なかった。

「野球経験者である」○
「出演中のドラマ天狗の台所での役名はアタゴユイである」○
「2nd写真集のタイトルはbloomである。」○

だが問題が進むにつれ、これはもう予想するしかないのでは?という問題がどんどんと多くなり、脱落者が増えてゆく。
回答をした本人もどちらで答えたかを忘れてしまい確認をするという場面もちらほらあった。
その瞬間の感覚だけで答えられるような設問がそれだけあったのだ。
 
35人が30人に

30人が25人に

 


10人、8人、5人


3人
 
 
 

 

 
なんと私は最後の2人まで残ってしまっていた。


このてのクイズは、いかに対象者のことが好きであるかということを問われている。塩野くんのことをとてもよく知っているのですね、と考える方が多いかもしれないが、私はそうは思っていない。

問われているのは対象者のヲタクとしてのキモさだ。
少なくとも、あくまでも、私はそう捉えている。

彼氏や友達、会社の同僚でもない。画面の向こう、ステージの上というなにかしらの壁を挟んだ人間のことを熟知していると披露するのだ。純粋なファン心などという綺麗な表現であっさり片付けられるわけもない。
途中の問題で「塩野瑛久の好きな色は白である。○か×か」というものがあった。
彼は以前配信の中で、部屋の家具の色について言及していたことがあり、そこから答えを導き出して正解をしたのだが、これも冷静になってみればかなりキモい。
配信をしっかり見ていて、さらにはその内容を記憶し、そこから発展をさせて回答をしている。
ファンであれば当然の行いも外野から見れば異常だ。
 
「子どもの頃に好きだったお弁当のおかずは玉子焼きである」×
「コンビニでつい買ってしまうものは栄養ドリンクである」×
「寝る直前にすることはストレッチである」×
 
この辺りの問題についても、私は半ば塩野瑛久本人を降ろす感覚で答えていた。
思い返してみても実に気持ちが悪い。

「塩野瑛久が八木将康と秋にお出かけをするのなら、紅葉狩りに行きたい」

私はこの問題で惜敗する。
正解は○だったが、悩んだ挙句×を出していた。
途中「八木将康は塩野瑛久の手作りクレープを食べたことがある」という問題で両者共に不正解になる場面もあったが、「僕なんかの問題で終わっちゃうの嫌ですよね!」と明るく八木氏が仕切り直し、結局20問目まで戦いは続いていた。
日中に行われた1回目では10問で決着がついてしまい、企画として成立していたのかという不安が関係者の間に広がったという。
長引けば長引くほど、不正解になってしまった他の参加者の皆さんに塩野瑛久の新しい情報を提供することができる。いっそ全問完走してやりたいくらいの気持ちでいたが、あと一歩及ばなかった。
 
優勝者の女性はその場で自分の名前も入れてもらい、サイン入りポスターを受け取っていた。
優勝こそ逃しはしたが、それなりの土産話はできたんじゃなかろうか。そう思い腰を下ろすとなんと次もファン参加型のゲームコーナーだと言う。休む間がない。
一方的に色々しゃべってくれて、こっちの質問に適度に答えてくれる程度の内容を想像していた私は、あまりの双方向ぶりに少々慄いていた。
次は絵しりとりだった。
文字通り、絵のみで相手にそれがなにであるかを伝え、最後の人までしりとりを成立させるというものだ。
合計4名で行うため、ファンの中から2名に参加をしてもらいたいと言う。
 
「じゃあ、これは挙手制で」
 
 
 
八木氏の言葉が鼓膜に届くなり、私はすぐさま迷いなく真っ直ぐに手を挙げた。
小学生の頃だってこんなに真っ直ぐに手を挙げたことはない。
 
 
しかしこんなところまで来ているのだ。恥ずかしいとか図々しいとか言っている場合ではない。
推しとの絵しりとり、私はその瞬間を可能であるならば人生の走馬灯メモリに追加したかった。
今後の人生、多少なにかあっても「まぁ、私は推しと絵しりとりをしたことがあるしな。許してやろう」と気持ちを強く持てる場面もあるかもしれない。
すると、八木氏が「じゃあ、さっき2位まで残ってくれた方なので」と早々にGOサインを出してくれ、もう1名は他に手を挙げた方々数人ででジャンケンをし、勝った方が参加となった。
 
塩野→参加者→八木→私
 
しりとりはこの順番で行われる。計らずもオチとなってしまい尋常ではないプレッシャーを感じていた。
思わず「私が最後ですか…」と漏らしてしまったが、八木氏が明るくアシストをして笑いに変えてくれた。私はもうかなり八木将康のことを好きになっている。
 
しりとりは、しおのあきひさの「さ」から始まった。
特に時間制限も設けられていなかったため、描き上がりを待つ時間は八木氏が私たちがどこから来たのかを尋ねるなどして場を繋いでくれた。
そして、完成した作品が披露される。
通常であれば次の順番の人間以外は見ない方がベストなはずだが、そんな雰囲気でもなかったので私も推しの絵を見た。そりゃ見たい。推しが描いているのだから。
彼が描いたのは「サイリウム」だった。
次の番手である女性もすぐに理解した様子だったが、八木氏だけは全くピンと来ていなかった。
女性は「虫」を描いた。簡略化しているがそれでも尚確実に虫と伝わる上手なイラストだ。
そして八木氏は「シマウマ」を描いた。
これがまたなんとも絶妙な仕上がりで、絵しりとりの醍醐味がしっかり詰まった素晴らしい作品に会場も笑いに包まれている。
だが私はそれどころではない。
 
「ま」
 
この言葉から始まり、かつ描けるものを瞬時に選ばなければならないのだ。
よりにもよって真っ先に思いついたのは「マンドリル」だった。多少絵は描ける方ではあるが、私にそこまでの画力はない。
イラストレーターの友人たちの能力を今すぐに借りたいと心の中で泣きながら、必死になって「ま」で始まる他の言葉を探した。
この間もなにかトークが繰り広げられていた様子だったが、完全に耳に入っていなかったので、ご存じの方がいれば是非教えていただきたい。
マンゴーは簡単だが逆に難しい。漫才は人物×2でコストが高い。

 


「あ、できましたか?」
私がペンのキャップをしめて佇んでいると、八木氏がそれに気付き声を掛けてくれた。たぶんそうだったはずだ。
幸い、私の描いた絵はすぐに伝わった。お客さんも皆さんとても優しい人たちで、おぉとリアクションをしてくれた。

シルクハットから鳩が飛び出す絵を描いた。「マ」ジックの絵だ。

八木氏も推しも、上手だと言ってくれた。お世辞だろうがお約束だろうがなんだって構わない。私はこの先の人生を「なんであれ推しに褒められた人間」として生きられるのだ。
死んであの世で裁かれる時が来たら、できるだけ腹の立つ顔で「私はね、常軌を逸したレベルで眉目秀麗な推しに褒められたことがあるんですよ。そんな経験あります?」と判事に言ってやろう。
 
絵しりとりは滞りなく終了した。
すると、八木氏が言ったのだ。
 
「参加をしてくれた記念に、僕たちが描いた絵のボードにサインを入れてプレゼントします」
 
色々置いておいて、こうなると問題はどちらがどちらのボードをもらうかということだ。
今日は塩野瑛久のファンの集まりである。
当然、絵しりとりに参加した私たちだけでなく全参加者が求めているのは塩野画伯によるサイリウムの絵が描かれたボードだ。
八木氏が、さきほどは惜しかったので…と私にそのボードを与えようとしてくれたのだが、それを制したのは他ならぬ塩野画伯本人だった。
 
「ここは平等にジャンケンで」
 
とても彼らしいなと思った。
八木氏の配慮もとても優しく思いやりのある心遣いだった。ありがとうございます。好きです。
だが、私の2位の功績は優先的にこの絵しりとりに参加できた時点でその力を使い果たしている。
結果がどうなろうと私だけが優遇されたという印象も残らない、極めて平和的な決着方法だ。
 
私たちはそれぞれの右拳を突き出した。
きっとお互い、これまであらゆるジャンケンを戦い抜いてきた。
給食のデザート、劇の配役、席替え、班分け、なにかしらの当番、誰がコンビニに行くか、結婚式の二次会でのゲーム、できれば他人に任せてしまいたい面倒事、数多の負けられない戦いがあったはずだ。
だがきっと、今、この瞬間こそがそれぞれの人生の中で最も負けられない戦いだったのではないだろうか。
 
 
最初はグー
 
 
ジャンケン
 
 
ポン
 

 

 

 

 
握りしめたままの私の拳は、そのまま勝利を掴んでいた。
 

この世に確実に、たった一つしか存在しないアイテムが、私の手元に来ることになった。
喜びよりも、マジか、という感情が強かったと記憶している。
私のちんけな脳では処理しきれない現実が、あの渋谷駅の人混みのようにぎゅうぎゅうと容赦無く私を飲み込んでいく。
サインを待っている間、話題が八木氏の描いたシマウマへの向いた。
味のあるいい絵だということが伝えたかった私は「マスコットにしたら可愛いと思います」ともはやどこ目線かわからない発言を八木氏に向かってしていた。彼はもちろんそれを拾ってくれる。
子どもの描いた絵をそのままぬいぐるみにしてくれるサービスがある、というどうでもいい情報を披露すると、塩野は「ありますよね、そういうサービス」とこともあろうに話題を広げてくれたのだ。
喜びよりも、こんな私に敬語を使うな!勿体無いだろ!という感情が大きかった。
いつ役立つのかわからない情報を持っていてよかった。これからもインターネットとテレビに張り付いて生きよう。
 
席に戻ると、スタッフさんが紙袋を手渡してくれた。
「おめでとうございます」の一言にホスピタリティを感じた。
 

その後は、会の冒頭で私が華麗なツーシームを軌道を描いたあの質問用紙に答える時間が始まった。
抽選方式で質問を選び、丁寧に回答をしていく。
こんなことが起きてしまったのであまり記憶がないが、ブランドにこだわりはなく、古着も好きだと話していたことと、スキンケアを化粧水一本にしたという話、新しい役に入る時最初にやることは役にもよるので特定のなにかはないと語っていたことはかろうじて覚えている。
 

 

 

序盤にも記したようの、このイベントに当選した時から私はブログを書くと決めていた。
現場のレポというものはジャンルを問わず後に役立ったり、後にファンになった人、現地に行けなかた人にとってとても意味があるものだからだ。
参加人数が少なかったものならなおのこと価値がある。
昨年末に行われたクレープのイベントではそれらしいものが見つからず、公式からのレポに留まっていた。
公式からと現地に行ったファンである人間からとでは、放たれるエネルギーの物量が違う。
私がそうなれている自信は全くないが、特定の何かを愛している人間が書くレポには禍々しさすら覚えるほどのエネルギーが詰まっているのだ。
少数しか当選しなかったこの貴重な現場で起きたことを、参加者として伝える責任と義務がある。少々大袈裟だがそれくらいに思っていた。
結果として思いがけない展開が相次ぎ、イベントのレポというよりも私個人の思い出になってしまったが、なんかもう許してほしい。ごめん。
質問の回答とか一番大事なのに。本当にごめんね。
 

 

 
質問コーナー終了後は全員での記念撮影をした。それこそ公式のレポに載るのだろう。
参加者の皆さんはほぼほぼモノトーンの服を着ていた。私だけが招待されていないグループLINEがあったのではないかと疑いたくなるほどだ。
イベント前夜に手持ちの服と睨み合いながら「仮装大会みたいな服ばっかり」と回遊魚のように部屋中をうろうろ歩き回り、比較的地味めだとジャッジした一着を選び取った私に言いたい。
なにを着て言っても、たぶんあまり変わらなかったよ。
 
 
最後は登壇者2名との3ショット撮影があった。これは事前に告知されていたが、それでも心の準備など到底間に合うわけもない。
楽しかったです、という当たり障りも面白味も個性もなにもない、ただただ退屈な定型文しか発することが出来なかった。
弁が立つ某ラッパーに「どのラッパーよりも口が悪い」と評価された私が聞いて呆れる情けない仕上がりに脱力しつつ、早々に会場を出て渋谷駅に向かった。
 

会場から距離が離れていくにつれ、時間が少しずつ経過するにつれ、プールの底から浮かび上がるように現実が帰ってきた。
ハロウィンに一番近い土曜日で大いに盛り上がる渋谷は喧騒と狂騒にまみれ、警察官たちの抑揚のないアナウンスがあちこちで響いている。
私は今東京に、渋谷にいるのだ。これから新幹線に乗り、300km離れた我が家に帰るのだ。
紙袋の持ち手を握り締め、道玄坂方面から渋谷駅に入って巨大広告の写真を撮った。
たった今会ってきたばかりの俳優が出演するドラマの広告だ。
まるで実感がなかった。
イレギュラーな状態になった渋谷駅からなんとか山手線に乗り、その車中で予約した新幹線に乗り換える。淡々と、ただ帰るという行為だけをしていた。
折角このタイミングで渋谷にいたのだから、King GnuのSPECIALZや踊ってばかりの国のghostを聴きながら人混みに揉まれるなどすればよかったなぁ、と思いながら座席でフルーツサンドを食べた。
調子に乗ってシャインマスカットを選んで買った。
ふと視界に入ってしまった隣の席のサラリーマンは、スマホでフルカラーかつ強めのエロ漫画を読んでいた。
もう新しい面白はいらない。こんなものエッセイ漫画にでも描こうものなら即嘘松認定されるだろう。あと、単純に気分がよろしくない。
私は気持ちを落ち着かせるため、早速あのカードを切ることにした。
 
「まぁ、私は推しと絵しりとりをしたことがあるしな。許してやろう」
 
 
 
 
 
 
彼は性別年齢を問わず、よく共演者から「イケメン」ではなく「美しい」と表現されている。
生で拝んだ塩野瑛久は、本当に美しかった。
美しいという言葉がこの世に存在していることに感謝しかないが、欲を言えばそれでもまだ追い付かない。
貴重な体験と特大のお土産は、私の人生の財産の一つとして大切に保管し、定期的に披露していくことにしよう。
新幹線が三河安城駅を通過した。名古屋は近い。
私は、推しの絵をどう飾るかをずっと考えていた。

 

 

 

 

 

 




 
 
 
おわり